浮世絵は、17世紀の末に菱川師宣によって始まり、明和2年(1765)に鈴木春信によって錦絵が創始され、飛躍的に発展してきました。直実を描いた浮世絵・錦絵は、現在100種類以上確認されています。このように直実が多く描かれた理由としては、「一谷嫩軍記」「須磨都源平躑躅」「蓮生物語」など歌舞伎や浄瑠璃で上演された直実が、強くも情けある人物として人気を博し、ブロマイドや広告として発行されたことによるものと考えられます。
ここでは、浮世絵・錦絵等を6分類して紹介します。
目次
寿永3年(1184)の宇治川の合戦で、源義経軍が京都を守る源義仲を破った戦いで、直実が、平山李重と先陣争いをする姿が描かれている。
佐々木高綱と梶原景季の先陣争い、畠山重忠と大串重親の徒歩による先陣争いが3枚続きに描かれている。直実や岡部六弥太は左の画面に描かれている。
制作年:嘉永5年(1852)~6年(1853)
宇治川の合戦を前にして、源氏方の武将が集まって居る場面で、3枚組の錦絵。直実は中央の画面の一番左側で、笹りんどうの幕の前に居る。
制作年:天保15年(1844)
寿永3年(1184)の一の谷合戦を俯瞰図的に描いたもの。直実と敦盛との対決、岡部六弥太と忠度との対決の二つの場面が、3枚続きの画面に描かれることが多い。
3枚続きの右面には鵯落し、中央と左に直実と敦盛の対決が描かれる。直実は宙に浮いているような構図となっている。
制作年:万延元年(1860)
直実と敦盛、六弥太と忠度の錣引きの3つのエピソードが3枚続きの画面に描かれている。
制作年:弘化4年(1847)~嘉永5年(1852)
義経の脇で、弁慶が制札を書いている場面が描かれている。直実と敦盛は3枚続きのうち、左の画面に描かれている。
制作年:元治元年(1864)
直実と敦盛の対決の場面で、3枚続きにうち右側2枚に黒馬に乗って扇で敦盛を呼び返している直実が描かれている。
制作年:明治期
浄瑠璃『一谷嫩軍記』の二段目中、「須磨浦組討の段」に取材して描いたもの。直実が沖の敦盛を扇を挙げて呼び返している場面と、敦盛の婚約者玉織姫が描かれる場面がある。
2枚続きで、扇を挙げて直実が敦盛を呼び戻している場面を描いたもの。
河原崎座公演の「須磨浦組討の段」を取材したもので、直実は8代目市川團十郎、敦盛は岩井粂三郎。 制作年:嘉永5年(1852)
直実が敦盛を組み敷いた場面で、坂東武者の直実は無骨者に、平家の公達の敦盛は優雅な姿に描かれている。
制作年:文化12年(1815)~文政7年(1824)
須磨浦の組討の場面を描いた2枚続きの錦絵で、舞台の床板が描かれている。江戸の河原崎座の公演に取材したもので、直実は8代目市川團十郎、敦盛は岩井粂三郎。
制作年:嘉永5年(1852)
江戸河原崎の芝居に取材したもので、直実は8代目団十郎、玉織姫は猿蔵。
制作年:嘉永5年(1852)
小倉百人一首の78番目、源兼昌の歌にゆかりの須磨浦での敦盛討ち取りをテーマにしたもの。
制作年:天保14年(1843)~弘化4年(1847)
明治20年3月の新富座筋書の表紙。女装した敦盛と直実が五条橋で出会って、対決する場面を描いたもの。
制作年:明治20年(1887)
『一谷嫩軍記』の三段目切、「熊谷陣屋の段」に取材したもの。平敦盛の首実検の場面と、無常を感じた直実が僧侶姿になって半生を振り返る姿を描いたもの。
3枚続きのうちの一枚。熊谷陣屋でもクライマックスの敦盛の首実検の場面を描いたもの。江戸河原崎座で、直実を演じているのは7代目市川團十郎。
制作年:天保2年(1831)
四代目中村芝翫の直実を描いた役者絵。
直実は桜の花の下で、「伐一枝者可剪一指 月日」と書かれた制札を持っている。
制作年:明治13年頃
3枚続きの錦絵で、左にさがみ、中央に直実、右に義経が描かれる。
制作年:安政元年(1854)
タイトルまわりにあるのは、熊谷陣屋での重要な小道具のひとつである制札と桜の木。
制作年:嘉永5年(1852)
熊谷陣屋の幕切れの場面で、僧衣をまとった蓮生が幕外で舞台を振り返って16年を述懐する場面を描いたもの。江戸河原崎座で行われた芝居で、蓮生を8代目市川團十郎が演じている。
制作年:嘉永5年(1852)
3枚続きの1枚、熊谷陣屋で幕切れの部分で、嘉永5年9月に江戸河原崎座で行われた芝居に取材したもので、蓮生を8代目市川團十郎が演じている。
制作年:嘉永5年(1852)
この図柄の浮世絵は、「一谷嫩軍記」の先行作品として「平家物語」や「源平盛衰記」や昔から言い伝えられてきた逸話などがもとになってつくられた作品。別題名は「源平魁躑躅」とも言われ、享保15年(1730)11月4日から大阪竹本座で人形浄瑠璃として初演された。作者は文耕堂と長谷川千四の合作。
画面を横にして扇の日の丸の部分に直実の姿を描いたもの。
直実を初代中村福助が演じている。
安政元年(1854)5月福助の養父4代目歌右衛門の三回忌追善として「熊谷陣屋」の一幕が上演され、取材したもの。
安政元年出版『俳優似顔東錦絵』 制作年:安政元年(1854)
明治座公演の源平躑躅の役者絵。
扇屋上総を市川壽美蔵、娘小萩(敦盛)を市川米蔵、直実を市川左団次、姉輪平次を市川権十郎、扇屋娘桂子を中村成太郎が演じている。
制作年:明治35年(1902)
「須磨都源平躑躅」の取材したもので、その5段目の五条橋の場面。
制作年:嘉永5年(1852)
上の会席の絵を慶重が描き、それにゆかりのある人物を三代豊国が描いている。
制作年:嘉永5年(1852)
明治2年4月に守田座で上演された「須磨都源平躑躅」に取材したもので、五条橋の場の直実を描いたもの。
制作年:明治2年(1869)
直実の逸話である藤枝の話、熊谷の奴稲荷、歌舞伎のブロマイドなどに描かれたもの。
「未摘花 なつかしき色ともなしになににこの末つむ花を袖にふれけむ」
制作年:弘化3年(1846)
「は」熊谷次郎直実
「花は さくら木 人ハ武士」
花のなかでは、ぱっと咲いてぱっと散る桜の花が一番で、人の最も見事な生き方は、美しく咲いて潔く散る武士であるというたとえ。
制作年:江戸時代95
頼朝の前で義経・範頼をはじめ多くの武将が集まり評定をしている場面。直実は、息子の直家とともに次の間に控えている。
制作年:安政5年(1858)
直実ゆかりの熊谷子育奴稲荷神社を描いた引札的性格を持つ3枚組の錦絵。
制作年:嘉永5年(1852)
直実の父である直貞が、熊を素手で退治している場面を描いたもの。これ以降、姓を熊谷と変えたと詞書に記されている。
制作年:文化12年(1815)
一ノ谷の戦いで、直実が敦盛の首をとろうとしている場面を描いたもの。
制作年:江戸時代
光明寺所蔵の蓮生法師像を模写したもの。
制作年:明治7年
絹本着色。124.5×50.6cm。
3幅中の1幅。
石橋山の合戦で敗れた頼朝を探し、倒木の洞を探す平家方の武士が描かれている。
制作年:江戸時代。