埼玉県内所蔵資料や重文資料

1.幡随意上人行記(江戸時代:25.0×17.5cm)、幡随意上人諸国行化傳(江戸時代:25.5×18.5cm)

 ともに、江戸時代前期の浄土宗学僧である幡随意上人の事跡をまとめた書物。幡随意上人は、天文11年(1542)に相模国に生まれ、天正6年(1578)には下総関宿大龍寺の住職となり、関東地方を行脚する中で、数多くの寺院の開基、中興に関わった。徳川家との関係も深く、晩年は紀州で過ごした。
 熊谷市とは、熊谷寺を中興、大龍寺の開基に関わった。双方の書物とも、熊谷寺の中興についての記述があり、末寺である久山寺に関する逸話についても書かれている。

『幡随意上人行記』 埼玉県立熊谷図書館蔵
『幡随上人諸国行化傳』巻之3 埼玉県立熊谷図書館蔵

2.熊谷蓮生坊絵詞(江戸時代:34.5×689.5cm)

 法然上人の事跡を描いた京都知恩院所蔵の「法然上人行状絵図」48巻伝のうち、第27巻の模本。「熊谷蓮生坊絵詞」と称されるように、直実が法然上人の門をたたき、蓮生法師を名乗り、上品上生の往生を遂げるところまでが、詞書と絵図で描かれている。ただし、後半部分は詞書がなく、絵図のみ描かれている。

翻刻
武蔵国の御家人、熊谷の次郎直実ハ、平家
追討のとき、所々の合戦に忠をいたし、名をあげし
かは、武勇の道ならひなかりき。しかるに宿善
のうちに、もよをしけるにや、幕下将軍をうら
み申事ありて、心ををこし出家して蓮生と
申けるか、聖覚法印の房にたつねゆきて
後生菩提の事をたつね申しけるに、さようの
事ハ法然上人にたつね申へしと申された
れハ、上人の御庵室に参しにけり。罪の軽重
をいはす、ただ念仏たにも申せハ、往生するなり。
別の様なし、との給をききて、さめざめと泣けれハ、
けしからすと重たまひて、ものもの給はす、し
はらくありて、なに事に泣給そ、と仰られ
けれハ、手足をもきり、命をもすててそ、後生
はたすからむするとそ、うけ給ハらむすらん
と存するところに、ただ念仏たにも申せハ、
往生ハするそ、と、やすやすと仰せをかふり侍れは、
あまりにうれしくて、ながれ侍るよしをそ申
ける。まことに後世を恐たるものとみえけれハ、
無智のの罪人の念仏申て往生する事、本願
の正意なりとて、念仏の安心こまかにさつ
け給けれハ、ふた心なき専修の行者にて、ひさ
しく上人につかへたてまりけり。或時、上人
月輪殿へ参し給けるに、この入道推参して
御共にまいりけるを、ととどめはやと思食されけ
れとも、さるくせものなれハ、中々あしかりむと
思食て、仰らるるむねなかりけれハ、月輪殿ま
でまいりて、くつぬきに候して、縁に手うちかけ、
よりかかりて侍けるか、御談議のこえのかすかに
きこえけれハ、この入道申けるハ、あはれ、穢
土ほとに口おしき所あらし。極楽にはかかる

れとも、さるくせものなれハ、中々あしかりむと
思食て、仰らるるむねなかりけれハ、月輪殿ま
でまいりて、くつぬきに候して、縁に手うちかけ、
よりかかりて侍けるか、御談議のこえのかすかに
きこえけれハ、この入道申けるハ、あはれ、穢
土ほとに口おしき所あらし。極楽にはかかる
差別ハあるましきものを。談議の御こえも
きこえハこそ、としかりこえに高声に申
けるを、禅定殿下きこしめして、こはなに
ものそ、と仰られけれハ、熊谷の入道とて、武蔵
国よりまかりのほりたるくせものの候か、推参に
共をして候と覚候、と上人申給けれハ、やさしく
ただ、めせとて、御使を出されてめされけるに、
一言の色題にも及ばす、やかて、めしにしたか
ひて、ちかくおほゆかに祇候して聴聞仕けり。
往生極楽は当来の果報なをとおし。忽に
堂上をゆるされ、今生の花報を感しぬる事、
本願の念仏を行せすは、争この式に及
へきと、耳目をとろきてそ見えける。

蓮生、念仏往生の信心決定してのちハ、ひとへ
に上品上生の往生をのそみ、われ、もし上品上生
の往生を遂ましくハ、下八品にはむかへられまいら
せし、といふかたき願をおこして、発願の趣旨をの
べ、偈をむすひてみつからこれをかきつく。かの状云、
元久元年五月十三日、鳥羽なる所にて、上品上生
の来迎の阿弥陀ほとけの御まへにて、蓮生、願を
おこして申さく、極楽にうまれたらんにハ、身の
楽の程ハ、下品下生なりとも限なし。然而、天台の

元久元年五月十三日、鳥羽なる所にて、上品上生
の来迎の阿弥陀ほとけの御まへにて、蓮生、願を
おこして申さく、極楽にうまれたらんにハ、身の
楽の程ハ、下品下生なりとも限なし。然而、天台の
御尺に、下の八品は不可来生と仰られたり。お
なしくハ、一切の有縁の衆生、一人ものこさす来
迎せん。無縁の衆生まてもおもひをかけてと
ふらハむかために、蓮生、上品上生にうまれん。さ
らぬ程ならハ、下八品にハうまるまし。かく願を
おこして後に、又云、恵心の僧都すら下品の上生
をねかひ給たり。何況木代の衆生、上品上生す
る者ハ一人もあらし、と、ひしりの御房の仰せこと
あるをききなから、かかる願をおこしはてていはく、
末代に上品上生する者あるましきに、しかも
よろつ不当なる蓮生、いかて上品上生にハうま
るへきそ。さなくハ下八品にはむまれし、とくわん
したれハとて、あみたほとけもし迎給ハすは、第
一に弥陀の本願やふれ給なんす。次に弥陀の
慈悲、かけ給なんす。次に弥陀の願成就の文、や
ふれ給なんす。次に釈迦の感無量寿経の、十悪
の一念往生、五逆の十念往生、又、阿弥陀経の、もし
ハ一日、もしハ七日の念仏往生、又、六方恒沙の諸仏
の証誠、又、善導和尚の下至十声一声等定得
往生の尺、又、なによりも、観経の上品上生の三心
具足の往生、それを善導の尺の具足三心必得
往生也、若少一心即不得生、又、専修のものは、千ハ
千なからの尺、ことことくこれら、仏の願といひ仏
の言といひ、善導の尺といひ、もしれんせいを迎
給ハすは、みなやふれておのおの妾語のつみ得
たまひなんす。いかてか大聖の金言むなし
けるへきや。又、光明遍照十万世界の文、又、此界一

千なからの尺、ことことくこれら、仏の願といひ仏
の言といひ、善導の尺といひ、もしれんせいを迎
給ハすは、みなやふれておのおの妾語のつみ得
たまひなんす。いかてか大聖の金言むなし
けるへきや。又、光明遍照十万世界の文、又、此界一
人念仏若の文、この金言ともむなしからし。
いよいよこれらの文をもて、疑なき也とおもふ。一切
の有縁の輩、即たちかへりてむかえんとて、願を
おこして上品上生ならすは、むかへられまい
らせしといふ、かたき願をおこしたるか、よくひか
事ならんちやう、五逆の者はかりハあらし。しか
れハ、いかなりとも迎給はぬとあらし、これを
疑はぬ心ハ、三心具足したり。上品上生にむまる

『熊谷蓮生坊絵詞』埼玉県立熊谷図書館蔵

3.一の谷合戦図屏風:六曲一双(江戸時代:160.8×358.8cm)

 江戸時代海北派の子である友雪が描いた屏風。「平家物語」の敦盛の段に語られた場面を忠実に絵画化した屏風である。
 敦盛のほうは、金地に群青で扇面を抜き、直実のほうは群青地に金で扇面を抜き、それぞれに騎馬武者を華やかに描いている。埼玉県指定文化財。

一の谷合戦図屏風 埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵

4.源平合戦図屏風:六曲一双(江戸時代:154.7×364.8cm)

 左隻に屋島合戦を、右隻に一ノ谷合戦を配した、六曲一双の屏風。源平合戦を描いた屏風としては、一番ポピュラーな構図であるといえる。右隻の一ノ谷合戦では、中央に福原の陣屋を描き、鵯越の逆落とし、河原太郎・次郎の活躍、平敦盛を呼び戻す熊谷直実などが生き生きと描かれている。左隻の屋島合戦では、陸上の源氏と海上の平家を対立させて描き、那須与一や源義経などの活躍を描写している。

源平合戦図屏風 埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵

5.一の谷合戦図:三幅対(江戸時代:102.0×40.0cm)

 土佐光起筆。「平家物語」の敦盛の段を描いた掛軸で、海上に逃れる平敦盛、その敦盛を呼び返す熊谷直実、その様子を見つめる源義経を描いた三幅一対の作品である。埼玉県歴史と民俗の博物館蔵。

一の谷合戦図 埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵

6.熊谷家文書:国指定重要文化財

 熊谷家に伝来する255通に及ぶ武家文書。古文書の内容は、鎌倉時代の建久2年(1191)「熊谷蓮生(直実)譲状」から江戸時代の元禄3年(1690)にまで及んでいる。武蔵国熊谷郷から安芸国三入庄へ本拠地を移し、その後戦国武将へと発展していく過程や、その間の一族の動きなどを示す、鎌倉期から戦国期にかけての中世武士団を研究する上で、非常に貴重な資料群である。『大日本古文書』家わけ14に収録されている。

熊谷家文書「熊谷蓮生直実譲状」 個人蔵

この古文書は、国指定重要文化財「熊谷家文書」の1号文書である。以前は、『大日本古文書』のこの文書の注記に、後代の写しではないかと記されていたため、正面から議論されていなかったが、近年の研究により「さねいゑ」と花押が、「直実自筆誓願状」(清涼寺蔵 国指定重要文化財)などの筆跡と酷似することから、直実・蓮生法師の自筆箇所を含む、建久2年当時の文書として研究が進められている。熊谷氏研究の上で非常に重要な古文書である。

7.直実自筆誓願状:国指定重要文化財(鎌倉時代:27.2×212.0cm)

 直実が蓮生法師となり、浄土往生を願う中で、上品上生の往生の願いを書き記した誓願状。全5紙を継ぎ、端裏に「上品上生のぐわん」とある。内容は、第3紙までが「誓願状」で、第4紙目の「元久三年十月一日よゆめにみる」以下は、その内容から蓮生の「夢記」と称されている。「誓願状」の書かれた時期は、誓願を発した元久元年(1204)5月13日のものと考えられている。
「誓願状」「夢記」とも同筆で、「夢記」の最後には蓮生法師の花押があることから、蓮生法師自筆のものと考えられている。
 ともに、蓮生法師の浄土宗、念仏への教えへの信仰の篤さを示すものとして、蓮生法師自筆の書状として大変貴重な古文書である。
また、「法然上人行状絵図」第27巻にも引用されている。

直実自筆誓願状 清涼寺蔵蔵

あみだにほんぐわんよりほかにせいもん
とんをおくまし□す。それもみな
元久元年五月十三日、とハなるところニ
て上品上生のらいかうのあみたほとけのおま
えにて、僧蓮生くわんをおこして申さ
く。こくらくニうまれたらんニとりてハ、みのらくの
ほとハ、下品下生なりともかきりなし。し
かれとて天たいの御さくに、下し八品ふからい
生とおはせらりたり。おなしくハいつさいの
うえんのすしやう、一人ものこさすらいかう
せん。もしハむえんまてにも思召かけて、
とふらはんかために、ただひとへに人の
ために蓮生上品上生にうまれん。
さらぬほとならハ下八品ニハうまる
まし。かくくわんをおこしてのちニ又
いはく、えしんのそうつすら下品の上生
をねかう給へり。いかにいはんやまつたいの
しうしやう、上品上生する物ハ一人もあらし
と、ひしりの御ハうのおほせ事あるをきき
なから、かかるくわんをおこしはてていはく、
まつたいに上品上生する物あるましきニ
しかもよろつふたうなるれんせハ
(以下略)