能・謡曲

1.『敦盛』(作者:世阿弥元清)

登場人物:シテ(前・草刈男、後・平敦盛)、ツレ(草刈男二三人)、ワキ(蓮生法師)

【あらすじ】
蓮生が回国修行の途中、自分が討ち取った平敦盛の霊を弔うべく一の谷の古戦場に赴く。夕風に乗って笛の妙音に足をとめ辺りを見ると、一日の仕事を終えた草刈男の一団が家路に向かっていた。
蓮生が話しかけると、その中の一人が、笛にまつわる話をし、不思議に思って名を聞けば、敦盛にゆかりの者と答え、十念を授けてほしいと頼むので、共に合掌して経を唱えると、自分は敦盛の化身であることをほのめかして、夕闇に姿を消した。
 蓮生がその夜、敦盛の菩提を弔う読経をしていると、甲冑を着た平敦盛の亡霊が出現する。敦盛は、自分を弔う蓮生は、以前は敵でも今は真の友であると喜び、懺悔のために、平家一門の盛衰の物語を語りだす。蓮生もこの話を聞いて懐かしく思い出すうち、敦盛の亡霊は、最後に一の谷で直実と一騎打ちとなった場面を見せ、法の友である蓮生に回向を頼み、姿を消していく。

敦盛の能版画:月岡耕漁(1869-1927)
能面「十六」:敦盛の後シテ用:17世紀 東京国立博物館蔵

2.幸若舞『敦盛』(作者・制作年不詳)

幸若舞は、足利時代に成立し、室町時代に流行した語りを伴う曲舞の一種。福岡県みやま市に伝わる無形民俗文化財。能や歌舞伎の原型といわれている。

【あらすじ】
一ノ谷の戦いで、平家軍は源氏軍に押されて敗走をはじめる。平経盛の子で笛の名手でもあった平敦盛は、退却の際に愛用の青葉の笛を忘れ、これを取りに戻ったため退却する船に乗り遅れてしまう。
敦盛は、退却船に向かい馬を走らせる。
それを熊谷直実が見つけ、一騎討ちを挑む。敦盛はこれに受けあわなかったが、直実は一騎討ちに応じなければ、兵に命じて一斉に矢を放つと脅す。しかたなく敦盛は直実との一騎討ちに応じたが、敦盛はほどなく捕らえられてしまう。
直実が首を討とうと組み伏せ、その顔を見ると、まだ若武者であり、名を尋ねて初めて、敦盛と知る。直実の同じく16歳の子直家は、この一ノ谷合戦で討死したばかり。我が子の面影を重ね合わせ、16歳の若武者を討つのをためらった。これを見て、組み伏せた敵武将の首を討とうとしない直実の姿を、源氏方の武将が訝しみはじめ、「次郎に二心あり。次郎もろとも討ち取らむ」との声が上がり始めたため、直実はやむを得ず敦盛の首を討ち取った。
一ノ谷合戦は源氏方の勝利に終わったが、若き敦盛を討ったことが直実の心を苦しめる。直実は世の無常を感じるようになり、出家を決意して世をはかなむようになる。

『あつもり』(幸若舞集)寛永年間刊 国立国会図書館デジタルコレクション

直実が出家して世をはかなむ中段の後半の一節に

「思へばこの世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、栄花は先立って無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立って有為の雲にかくれり
 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
 一度生を受け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」

という語りがあり、織田信長がこの節を好んで演じたと伝えられている。
「人間五十年」は「人の世」の意、「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天のことで、一昼夜は人間界の八百年にあたり、化天住人の寿命は8,000歳とされる。最下位の「下天」は、一昼夜は、人間界の50年に当たり、住人の寿命は500歳とされる。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」は「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない。夢幻のようだ」との意。
『信長公記』によると、信長は、桶狭間の戦い前夜、この『敦盛』の一節を謡い舞い出陣したと記されている。