直実・蓮生が歌われた音頭・文様・俗謡などを紹介します。
目次
一. 昔なつかし直実さまが
サット開いた扇のかげに
意気と人情の花模様そめて
武蔵熊谷 ササヨイヤサの ヨイヤサで おらが町
(二~五略)
六. 白い卯の花こぼれて咲いて
鳩がとび立つあの白い鳩
君と遭ふせのゆびきりすれば
鐘もひながの ササヨイヤのヨイヤサで 熊谷寺
(七・八略)
一. おらが先祖の直実様は もゆる情けを鎧の下に
須磨の浦曲のあの花吹雪 男なりやこそ
トコトトトンの トトトンで 武士の意地
二. あれさ墨染め蓮生様が 東くだりのほれさかさ馬
鎧かぶとをさっこらさと捨てて 武士じゃござらぬ
トコトトトンのトトトンで いちしやもん
(三~五略)
*YOUTUBEリンク https://www.youtube.com/watch?v=BpD-TBnTpkQ
一. 秩父の峰の雪白く 名も荒川の風寒し
ここ武蔵野の大里は 関東一の旗頭
直実公のふるさとぞ
一の谷の軍破れ
討たれし平家の公達あわれ
暁寒き須磨の嵐に
聞えしはこれか青葉の笛
二. 源平須磨の戦いに 花も恥ぢらう薄化粧
智勇兼備の将なれば
敦盛の首打ちかねて 無常の嵐胸をかむ
三. 人生うたた五十年 夢まぼろしに似たるかな
今は栄位も何かせん あまねく人を救わんと
その名も熊谷蓮生坊
四. 流れて早き年月に 武蔵野山河変えるとも
阪東武者の精神は われらが胸に今もなお
生きてぞ通う直実ぶし
一. おらが熊谷 朝日に匂うアリサヤ
大和心のヤレソレサイサイ
大和心の花の里
ハレヤレソレヨイトヨイトナー
ハレヤレソレヨイトヨイトナー
二. 団扇祭りの 団扇で招くアリヤサ
今年日本のヤレソレサイサイ
今年日本の景気風
三. 武士の鑑みは 直実様よアリサヤ
大刀も情けもヤレソレサイサイ
大刀も情けも一の谷
(三~七略)
一つとや人に知られた熊谷の熊谷の
さくら堤の花ふぶき花ふぶき
二つとや二人そろふて蓮生の蓮生の
み墓もうでや熊谷寺熊谷寺
三つとや水の流れは白絹の白絹の
きよき荒川大橋よ大橋よ
四つとや夜明の鐘のなる頃になる頃に
はだし参りは圓照寺圓照寺
五つとやいつもきれいな星川の星川の
もとは池亭の池の水池の水
六つとや無理とは知れどこの願ひ
奴稲荷に祈りませう祈りませう
七つとや仲むつまじう暮すやう暮すやう
高城神社に初詣初詣
八つとや山は秩父か筑波山筑波山
浅間の明けの雲のいろ雲のいろ
九つとやここは熊谷町役場町役場
千形神社はこの東この東
十とやとくとく忘るな報恩寺報恩寺
町の鎮守は愛宕さま愛宕さま
参考:『櫻の熊谷』大正14年 藤浪 潔 熊櫻社
ここにあはれは 無官の大夫
としは二八の 初陣なるが
駒のたづなも まだ若桜
花に露持つ みめかたちをば
美人草とも 稚児桜とも
たぐひ稀なる おん装ひや
すはや出船か 乗り遅れじと
たづな掻繰り みぎはに寄れば
船ははるかに こぎいだしつつ
ぜひもなぎさに ためらふところ
馬を飛ばして 源氏の勇士
扇ひらいて さし招きつつ
われは熊谷 直実なるぞ
かへせもどせと 呼ばはりければ
さすがかたきに 声かけられて
駒のたづなを またひっかへし
なみの打物 するりと抜いて
三打四打は 打ち合ひけるが
馬の上にて むんずと組んで
もとのなぎさに 組み落ちけるを
取って押さへて 熊谷次郎
見ればつぼみの まだ若桜
花の御髪を かきあげしより
猛き武勇の 心もくだけ
ついに髻 ふつつと切りて
思いとまらぬ 身は鳥羽玉の
教を貫く 数珠つまぐりて
同じ蓮の 蓮生法師
菩提信心 新黒谷へ
ともに仏道 なりにける
参考:『相川音頭集成』昭和30年 佐渡郷土研究会 山本修之助編
熊谷その日のいでたちは 褐錦の直垂に
黒糸絨のよろひ着て 権太栗毛の鞍つぼに
のび上りのび上り我こそ丹治直実よと 名乗し聲の今も尚
關の東に轟けり 浄土にも剛のものとや沙汰すらん
西に向ひてうしろ見せねば その西方の弥陀佛を移して
ここに熊谷寺何思ふべき煩悩の 鐘にほんのり夕やけが
ぽつと染めたは筑波山 とけたは帯か荒川の
名は荒くとも川原の石の こひしこひしに身をこがす
蛍にあらじ星川の 汲めどもつきぬ深情
しんぞうれしき夜の雨 石の上にも三年ごしの
我慢しとげた月の色 高城の社の椎の木さへも
まてばとあるのが頼もしや 堤は春の花吹雪
久下はかりがね秋の色 冬さりくれば星溪に
雪の下ゆく石清水 その水上の上之より
ままに成田の里かけて 弥生しげる竹の一ふし
参考:酒井天外『熊谷蓮生物語』昭和11年